ささやかな日常なんてちっとも幸せじゃない。

こんばんは

いまいけい子です。

先日父親から、

どうだ?仕事辞めて。

と聞かれまして。

今のところ快適だよ

ストレスが見あたらなくて、

完全に小学生の夏休み状態。

しかも大人な私には10年働いた貯金があるから

最強だよヽ(・∀・)

こうして今まで貯金ができたのは、

奨学金という借金を背負ってなくて、

養う必要のない親を持ったおかげだから、

お父さんには感謝してるよ。

私は、ウチの子に産まれて本当に良かったよ(・∀・)

と感謝を伝えたところ、

ばかもんwww

決まった時間に起きて、

仕事があって、

自分にやるべきことがあるってことが、

そんな当たり前の毎日が幸せなんだぞ。

と、しんみりと言われました。

去年までそんな生活をしていたけれど、

幸せだ…!

なんて思ったことがなかったよ(*´-`)

そんな当たり前の毎日を、

不幸せだと感じていたので、

毎日を変えたのです。

このように、

仕事があって家があって、

三食食べれて暖かい布団で眠れる。

そんな日々のささやかな日常こそが幸せであるという風潮がありますが、

私は、このような言葉を聞いたり見たりするたびに

そんなの無理に決まってんだろ( ゚д゚)

と、思っています

戦時中や戦後ならまだしも、

毎日三食食事ができるなんて当たり前だし、

あたたかい布団で眠れることも当たり前です。

毎月給料がもらえるのも、

1ヶ月のうち20日近く、

1日8時間以上も働いてるから当たり前だ。

そんなものは、あって当たり前です。

だからそんなものを得ている状態なだけじゃ、幸せとは到底思えません。

それが揃ってるからといって、

=幸せ

という時代ではないのです。

そもそも、

毎日三食食べれて暖かい布団で眠れて幸せ。

と言う人は、

それだけでなく、他で決定的に満たされていると思う。

大好きな妻や夫がいたり、

かなり気に入っている仕事に就いてたり、

そういう前提があっての

このありふれた毎日が幸せだ。

に行き着いてると思うのです。

仕事はクソつまらないし、

身の回りに大好きな人がいるわけでもない。

婚活してもうまくいかないような人が、

三食食べれて暖かい布団で眠れるだけで幸せなわけがない。

前提が違う。

また、この「幸せ」の感覚には個人差があります。

私が思うに、

あまり気に入っていない仕事を続けていても、

そこまで好きじゃない人と交際していても、

自分で納得して、「これが幸せ」と感じて生きている人は現代でもたくさんいます。

自分にはもっと他に何かやれるんじゃないかと、資格を取ったり転職したり、

もっと他にいい人がいるんじゃないかと、出会いと別れを繰り返したりする人もいます。

もがいても満たされない自分はどこかおかしく、

あるものを受け入れてそれに幸せを感じている人が正しいように思えます。

私自身も、今あるものに幸せを感じようと、無理矢理納得して毎日を過ごしていました。

だけど、それは間違っていました。

人それぞれ、「幸せ」に対する器があって、

その形も大きさもバラバラです。

小さな器の人は、

あたたかい布団で眠れれば他に何もいらない、幸せ。

と感じ、

大きな器の人は、

タワーマンションの最上階のガラス張りの部屋の大きなベッドで眠れる、幸せ。

と感じる。

大きな器を持った人が、

小さな器の、小さな中身で満足している人を見て、

見習わなきゃΣ(・□・;)

ささいなことにも幸せを感じられる自分でいよう…。

幸せの感度を上げなきゃ(゚д゚lll)

なんて思うのは、お門違いです。無理。

ひとりひとり器が違うんだから。

大きな器を持っているのにはちゃんと理由があるのです。

大きな器を持てるだけの向上心と体力が、そこにはある。

そう信じて私は今日も心身ともに健やかに生きています。

それではまた〜

===================================================

ブログに関するご意見ご感想、仕事や婚活のモヤモヤ、ご相談はこちら。

====================================================

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする